よく見ればヌートリア

自分用の記録

8.14〜16 「今夜はオンライン飲み会デス2」


8.14〜16
オンライン演劇(zoom)


「何かを得るには、何かを捨てなきゃ」…と言うのはわたしが世界で一番好きなとある悪役の台詞なのだけど、まさに人生そのものを表す台詞だなとしみじみ思う。人生とは選択の連続である。選んだもの、選ばなかったもの。拾ったものと捨てたもの。行った道と、行かなかった道。それは何も特別なことばかりではなく、割と簡単に、日常的に、わたしたちは選択を繰り返して生きている。

 

──では、それが他人の人生を左右する選択なら?

 

不穏なオンライン飲み会が帰ってきたぞ〜〜〜!!!!!!(カンカンカン!!!!!)

5月に上演された、「今夜はオンライン飲み会デス」。オンライン演劇版とドラマ版を経て、続編である「今夜はオンライン飲み会デス2」が上演されました。ドラマ版も見たので、続編と聞いたときは「えっここからどうやって…?」と思いはしたものの、あらゆる意味でパワーアップされていた〜〜〜!!!!

 

 

 

 


今回はマルチエンディングだよ!

なんと今回はマルチエンディング。
マルチエンディングとは、すなわち道が複数あると言うこと。選ぶ道が複数ある。ひとつを選べば、ひとつは即座に捨てられる。なにを得てなにを捨てるか?それは他でもないわたしたちの選択に委ねられている。
しかしその委ねられた道は、わたしたちのものではない。

 

マルチエンディングって、難しいな〜といつも思うんですよ。今まで見てきたマルチエンディング作品って、運やその回の参加者全体が抱いた印象に左右されると同時に、キャストさんの人気によって出る結果に偏りがあった印象で(決してそれが良いとか悪いとかではなく)今回もそんな感じになったりしないかな?とか勝手に思ってたんですが、蓋を開けてみたら綺麗にバラけてた!5公演で全部出たのは凄い!
わたしが見たのは3回なので3パターンだけなんですが、全部なるほどな〜!そうきたか〜!ってなる、矛盾を全く感じないエンディングだったので、ほんとに楽しかったです。


この先この人は一体どうなるのか?そして更に生まれる新しい謎。どれを見てもほんとに続きが気になる終わり方でした。すごい。

 

 


何かを選ぶ、と言うこと。

この作品において「お客様は神様ですから」と言う印象的な作中の台詞とは相反して、わたしたちは単なる物語を外から眺める、神の視点を持った部外者ではない──と言うようなことは前回の感想でも書きましたが、相変わらずとことんこちらをあちら側の世界に引き摺り込み、容赦なく役目とそれに伴う責任を与えてきます。

 

その役目とは、何かを選択すると言うこと。
自分が深く考えずに押した選択肢が、自分ではない「誰か」の一瞬先の未来を決める。冒頭でも言いましたが、わたしたちは割と簡単に、日常的に、選択を繰り返しています。けれど、「他の誰かの人生を決める」と言う行為は全く持って非日常。相反するそのふたつが生み出すスリルとハラハラ感!ほんとにクセになるぞ!(なるぞ!)

果たして自分の選択は正しいのか?
これは「当然の選択」なのか?
本当にそれでよかったのか?

自分が選んだ結果から生み出される次の展開を見る度に、そう考えてしまいました。そして、考えれば考えるほどわからなくなる。同時に、あー人間の行動って思いのほか深い意味はなく決定されることが多いんだなあと気付かされました。
面白いな〜!!


本当に、どこまでも「絶対に越えられない壁」を越えてくる作品だな〜と思います。
この作品において、わたしたちはオンライン飲み会を覗き見する「目撃者」であると同時に、彼ら、彼女らの結末を決める「当事者」なのです。
そしてわたしたちが何かを選んだ結果が、マルチエンディング!凄い!繋がってる!(?)
わたしたちが選ばなかった道は、同じ回では見られない。自分が選んだ道の結末を、ちゃんと見届けること。それがわたしたちに与えられた「責任」なんだよな〜とめちゃくちゃ感じました。
すげ〜…没入…(?)

 

 


みんな生きてた!ってはなし

ここからは、出来る限りオブラートに包みつつ登場人物のはなし。

 

まーーーーーー今回はほんとに参加者が揃いも揃ってクズ!クズクズアンドクズ!クズの大渋滞にして大博覧会!クズしかいねえ!最高〜!(いきなり包んでない)

でも何も、最初からそんなクズさを全開にしてくる訳じゃないんですよね。善良そうな、至って普通そうな仮面を被っていて、ある瞬間にその仮面が全部外れて本性が露出する。
わたしはとにかくクズがめっちゃ好き、オタクならクズを演じる推しを一回は見たい、と言ってますけど、なんでかって、とっても人間らしいからです。
タイプの違いはあれど、クズって大体本性が露出している訳で、その瞬間どこまでも人間らしくなる、と思うのです。

──欲、嫉み、或いは愛。
最初は一様に善良そうな(クセは強かったけど)参加者たちの仮面の下から現れた本性の中に見えるのは、至って人間らしい姿でした。でも、それがめちゃくちゃいい。だって人間って、綺麗なだけではいられない訳で。欲も妬みも愛もあって、簡単には片付けられない複雑な感情がある。善か悪かだけじゃ測れない。それが人間って生き物。

今まで大切にしてきた建前を捨てて、隠してきた本音や真実、すべてを晒け出す姿は、どうしようもなく、とてつもなく、「人間」だった。生きてる〜!って思った。画面の向こうで、同じ時間を共有して生きてる人間でしかなかった。だから例えクズであっても、愛着が湧く。それがまためちゃくちゃ精神を揺さぶってきて、決断を悩ませるんだよなあ…。

 

(ちょっと話が逸れるけど、「同じ時間を共有して生きている」と更に強く思わせてくれたのはあるシーンの演出。
リアルタイムなんだけど、気づいた瞬間うわー!ってなってしまったよね。うわー!
あれがあったからこそ、「あっいま生きてるんだ!同じ時間に!」って思えたし、感動できたのです。圧倒的な説得力と没入感。凄いなあ。
と言うかニコルソンズさんが関わるオンライン演劇、見る度に新しい仕掛けが入ってるんですがマジで凄い。どこまでいくんだ…?)

 

演者さんのパワーもほんっっっとにとにかく皆さん凄まじくて、画面越しでも圧倒された。
怒って泣いて叫んで罵って。仮面が外れてなりふり構わなくなった人間が持つ、とんでもない迫力と熱量。イヤフォンして見てたらマジでびっくりしてiPad投げ捨てかけるくらいの鬼気迫る大声とか、綺麗な顔をぐしゃぐしゃにして泣く姿とか。だからこそ、どんな人間であろうと先述の通り愛着が湧くんです。生きてる!って思うから。
最高だった…ありがとうございますでしかない…(ありがとうございます…)

 

そしてそんな中で異彩を放つのが、やっぱり曽根さんな訳ですよ。どこまでも人間臭い登場人物の中で、あの人だけが、一体何が本心で何が偽りなのか、なにを考えてるのか、全くわからない。最大の謎。
曽根さんを演じる西郷さんって、他の作品…例えば某オンラインイマーシブでもこちらをあちら側の世界に引っ張り込む導入役でありストーリーテラーにも似た立ち位置だなあと思うんですが、それでいて絶対に単なる語り手や進行役にならず、印象も薄くならない圧倒的な力があるから凄い。
曽根さんの謎が全て明かされる日は来るんだろうか。わからないことこそ知りたくなるのが人間、そして知りたくなるから続きが気になる。もしそんな日が来るとしたら、それが楽しみで仕方ないなあと思います。…いやでも謎のままにしておきたい気持ちもあるな〜!!!
余談ですがやっぱ西郷さんが操作説明してくれる時の安心感がヤバイ。めちゃくちゃ安心する。

 

 

さて、今回の飲みデス2もドラマ化するらしく!
今回はとにかく参加型であること、リアルタイムであることがより強くなったから、ドラマになったらそれがどう活きてくるのかめちゃくちゃ楽しみ〜!

さて、ドラマ版を見るか見ないか。
それもまた「選択」なんだよなあと思いつつ、とりあえず終わります!